先行医ひなたの日常ブログ

田舎の研修医の日常を書いていきます。

高校時代の話

こんばんは。

もうすぐセンター試験も近いようなので今日は高校の頃の話をしますね。

私の高校3年間を振り返ると辛いの一言で言いきれますね。

この際だから正直に言いますが、わたくしは高校時代は3年間底辺を走り続けていました。
どれくらい底辺なのかというと1年生のときは一学年240人中220~225位辺りをうろうろと、2年生になって文理に別れたあとでもだいたい下から5番目くらいが定位置でした。
ちなみになんですが高校3年生の最後のテストで数Ⅲが0点、数Cが3点という衝撃の点数を取って卒業していきました(嘘だろと思われますが本当の話です)。

そんな感じなので当然落ちこぼれで勉強もわからず……といった日々でした。
そもそも2年生になるときに理系はやめろと言われたくらいですからね。

高校入学当初は医学部に行きたい、なんて思っていましたが入って数ヶ月で数学がわからなくなり自分に医学部は無理だと悟り、それ以外の職業を探すようになりました。
確か理科の先生になりたいなと思っていました。

という状況なら当然センター試験なんか点数が取れるわけなく数ⅠAで衝撃の22点、合計でも400点前後だったと思います。当初はどこかしらの国立大学工学部に入れればいいや、なんて思っていましたがどこも入ることが出来ず浪人しました。

どうしょうもない人間でしたね。親には迷惑をかけていたと思います。
でも自分としてはちょうど良かったのかもしれないと考えています。今までなあなあで勉強してきて受かりそうな大学の学部に入れればいいや、なんて思っていましたが、かりにここで適当な大学の学部に受かっていたらいつかどこかのタイミングで苦労する人生だったと思います。
むしろこの浪人というタイミングで自分と向き合って死ぬ気で勉強するのも悪くないなと思いましたし。

とまあなんやかんやで死ぬ気で数年勉強してきて医学部に入ったというわけですね。
医学部受験は受かるまでゴールが見えない戦いなのでなかなか辛かったですよ、それは。元から医学部志望の人は偏差値でも60位からスタートするわけですが、わたくしは数学の偏差値29からのスタートでした。今となっては笑ってしまいますが、同じクラスの人でも医学部に行った人がいたから、自分も最終的にはいけるっしょ!なんて楽観的に考えてたのかもしれませんね。

浪人してて思ったことは現状維持に満足してはダメだなということです。
「志望大学は行けそうな大学ではなくて行きたい大学」
であり、今の学力じゃ無理でも目標を叶えるためにどう努力するべきか、ということを浪人中の数年間ずっと考えていました。

楽することばかりを考えてた高校時代でしたが、自分と向き合って知りたかったことは
「楽な道の選び方ではなくて辛い道の歩き方」
なんだと思いました。

もしいるかわかりませんがこのブログを読んでいる医学部志望の方は最後まで夢を諦めないで欲しいなと思います。10代の頃に死ぬ気で勉強して夢を追いかけたという事実はいつかあなたの財産になると思います。

偏差値29の私でも医師になれたのでこれから目指す人は頑張ってくださいね。


なんか今日は長くなりましたね。
そのうち浪人時代の話を書こうと思います。


おまけ
ともだちとオシャレランチしてきたよ





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